淀川河川公園と私
子供の頃、豊かな心を育んでくれた「川」。

 関西の土地に来て早くも18年の歳月が流れました。私の生まれ育った町は、愛知県の豊橋市の中心から約4kmほど南へ行った、静岡県に近い小さな町です。付近には戦時中は軍の様々な施設があったらしいのですが、戦後は農地として開拓するため 、開拓者が入り、豊かな自然と温暖な気候から農業が盛んになった地域です。しかし、そこには農業用水を手に入れる川がなかったため、豊橋の北を流れる豊川から用水路によって水を引き農業を営んできました。

 幼い頃の微かな記憶の中に、牛車に乗せられ広大な乾燥した赤土の畑の中を、ゆっくりと引かれていた思い出があります。子供の頃、やんちゃで男の子の遊びばかりしていた私の川の思い出といえば、近くを流れる小さな川でビショビショになりながらの水遊びや魚取りに夢中になっていたことです。

 また、実家からさらに2kmほど南へ行った所には母の実家があり、近くを流れる梅田川では雑草が生い茂る堤防から、ダンボールをお尻の下に敷いて滑り降りる遊びに夢中になったものでした。今でもその川は姿を変えず帰省した私を迎えてくれ、そんな思い出をつい昨日のことのように蘇らせてくれます。楽しく心豊かにしてくれる思い出は、大切な心の支えとなるものです。

 また、瞼を閉じると、亡くなった祖父母が堤防に腰掛け、釣りを楽しんでいた姿が浮かびます。厳格だった祖父の楽しみは、休日に梅田川でハゼ釣りをすることでした。麦わら帽子に手ぬぐいを取り付け、日除けを作り、祖父母は二人仲良く寄り添い、竹の釣り竿を垂らしていました。一日の中でも時間帯によって移り変わる川の色、そして季節ごとに豊かな自然の彩りを見せてくれる川の姿は、心休まる時間を過ごすことができるすばらしい景色です。

 愛知県には、豊かな川が多くありますが、私は余り大きな川に触れることなく幼少時代を過ごしてきました。そんな私が関西の地へ来て、仕事を通じて雄大な川に触れる機会が増え、これまでの認識にあった「川」とは大きく違う、川の存在を知りました。

 阪神電車を利用し大阪へ出ていた私にとって、淀川は河口近くのコンクリートに両岸を固められ、人々の生活から切り離された川の姿でした。しかし、淀川上流に行き、その自然の豊かさに驚いたものです。また淀川が先人達の大変な苦労によって今の姿があること。そして、流域や関西に暮らす人々の生活にとって、どれほど大切な川であるかを知りました。河川公園では、人々が集い、川の豊かな自然を楽しみながら過ごしています。そこには、私の過ごした川の風景はありませんが、ここに暮らす人々の心には、今の淀川の姿や淀川で過ごした時が大切な思い出となって心に刻まれるのでしょう。

 仕事を通じて、川の浄化や川の自然を守るための様々なイベントや広報を子供向けに企画・実施してきました。しかし、私自身が幼い頃に感動した思いや体験を生かしたいと思っても、川に入り、水に触れ、水と戯れ自然の中で思い切り遊ばせることはできません。危険だから、汚れているからと、川に入ることができないのは、大変悲しい思いでした。

 人々の生命や財産を守り、安心して暮らせる街づくりのために、川は整備され、改修されました。一面から見れば、人間のエゴによって変えられた姿です。だからこそ、私たち大人が次世代のために、守っていかなくてはならない、育てていかなくてはならない、川の姿があるのではないのでしょうか。平気でゴミを捨てる大人や、川の大切さを認識していない大人に囲まれて育った子供には、川を大切に守る心が育まれるはずもありません。人間の命の尊さと同じように、自然の命を大切にできる子供達が育って欲しいものです。

藤井順子
藤井順子さんと愛犬・愛猫
自宅で愛犬・愛猫とくつろぐ筆者

ナンバー19 藤井順子
ふじい じゅんこ。
愛知県豊橋市生まれ。昭和59年より、兵庫県在住。
昭和61年より約14年間、さまざまな河川及び砂防の広報・イベントに携わる。平成12年12月に有限会社カナルプランニング設立。

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