淀川歴史散歩
―第14回―

酉島みらい堤とその周辺
■酉島みらい堤 図−A
酉島みらい堤
子ども達の手や足型の陶板を
はめ込んだ「酉島みらい堤」
 平成7年1月17日の阪神淡路大震災で、淀川は河川堤防等に大きな被害を受けた。その後、19箇所で災害復旧工事が行われたが、中でも、淀川左岸河口部の酉島地区の被害が最も甚大。酉島地区の堤防は、明治36年に新淀川(現・淀川本川)が開削された際の堤防が、地盤沈下や高潮対策による嵩上げ等で積み重なった構造になっていた。被害の原因の一つがこの堤防直下に存在する砂層が液状化したものと考えられ、地盤改良を施して、環境に配慮した緩傾斜・土構造堤防として復旧が行われた。一部が階段護岸の緩い芝斜面の堤防は川へ近づきやすく、水に親しめる新しい堤防となった。震災から1年2ヶ月後の平成8年3月末に完成。愛称の「酉島みらい堤」は一般公募による。

■伝法川跡碑 図−B
 伝法大橋・阪神西大阪線が淀川を跨ぐ左岸付近の伝法は大阪の港として江戸中期まで栄えた所。船が往来した伝法川も河村瑞賢によって安治川開削(1684)以降はさびれていった。伝法川は正蓮寺川・森巣橋付近で分岐、西流して新淀川に合流。その長さ1km余り。高潮が発生すると伝法川は侵入路となって逆流、大きな被害をもたらすため昭和26年11月に分岐から900m程が埋めたてられた。残りの200m程は舟溜りとして利用され、東側に隣接する伝法西公園はその名残。かつての川筋には、正蓮寺川と分岐する剣先に船待ちの人達が建てた鴉之宮や舟人・漁民・廻船商人らが参詣し、「摂津国舟寺」と呼ばれた淀川近くの西念寺など由緒ある社寺が今もある。また、ある建築会社の寮(現存)の2階からは釣り糸を垂れ、魚を釣ったという記録が残る。正蓮寺では毎年8月26日「伝法の川施餓鬼」を行っている。なお、伝法川跡碑(昭和34年1月建立)は鴉之宮東側に建つ。
伝法川跡碑
伝法川跡碑

■澪標住吉神社 図−C
澪標住吉神社
澪標住吉神社
 阪神・伝法駅東側近くに建つ澪標住吉神社は人生の航路で心の拠り所にする神社。船の航路標識をさす澪標(みおつくし)と古歌で歌われた「身を尽くし」の一節にかけて名付けられたとか。澪標は航行する船に通りやすい深い水路を知らせるもので、千年以上の昔に難波(なにわ)に建てられ、当神社東の浜辺にも大きな澪標があった。神社の鳥居をくぐると左手に1m余りの木製の澪標が立ち当時を忍ばせる。現在使われている大阪市章はこの澪標をデザインしたもので、明治27年、商業都市は港から、と大阪市議会が市章に採用したもの。
記:細川和昭

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