淀川で得た感動を子どもたちへ

 玄関、ベランダ、そして自室の窓。何処を開けても淀川の雄姿が眼下に広がる。陽春のヒバリ、初夏のオオヨシキリのさえずり、梅雨の夜のカエルの合唱、秋の夜長の虫たちの演奏会、そして、冬の川面からはカモたちの呟きが川風とともに我が家に入ってくる。電気と水道の便を除けば、河川敷に暮らしているようなものだ。

 淀川との本格的なつき合いは中学生になった頃からだから、ちょうど30年になる。もっとも、淀川の河畔に居を構えたのは16年前。結婚を機にした宿願の達成であった。

 少々擽ったい言いかたではあるけれども、淀川の存在は私の人生にどれほど大きな影響を与えたか、そして今も与え続けているか。私はそのことを淀川に育まれた数々の生きものたちを抜きにしては語れない。

 淀川は全国でも魚の種類の多さでは屈指の河川だ。図鑑の絵でしか知らなかった魚を、眼の当たりにしたときの何ものにも代えがたい感動。それを幾度となく体験した現場は大阪市内のワンドやタマリであった。電車、バスを乗り継ぐこと3回、当時の自宅からは1時間余りかかる場所であった。

 そこには、40種を超える魚の中に今や風前の灯火、淀川のシンボルフィッシュ-イタセンパラもたくさんいた。姿を見かけることのなくなったアユモドキ。これもちょくちょく目にした。後にともに国の天然記念物に指定された魚だ。

 捕った魚は苦労して持ち帰った。そして自宅の小さな水槽に「淀川」を再現した。やがて水槽は家の玄関を埋め尽くすまでになった。近所の人たちからは水族館と呼ばれた。そして、魚を求めてまた通った。とにかくよく通った。それほどまで私を虜にした淀川は、青少年の日々の原風景なのだ。

 そして今、ワンドへは自転車で5分の距離だ。淀川で過ごす1時間の予定は、まず3時間。昼の帰宅予定ならば夕方と、淀川の自然の中で経つ時間は不思議なほど速い。妻は淀川へ出かけた私の帰宅予定時刻をまったく信用していない。淀川に行けば必ず何か発見がある。そう、ちょっぴり賢くなった気分に浸ることができるのだ。たとえようのない充実感、そして爽快感。

 最近は淀川をフィールドに自然観察会がよく催され、私も時々その案内役として駆り出される。勤務先の中学校の科学クラブの活動でも子どもたちを淀川へと連れ出す。そのときいつも五感をフルに活用した観察を勧める。目的はたったひとつ。自分がかつて淀川で得た感動を子どもたちにも味わわせたい。ただ、それだけ。その中から一人でも多くの子どもたちに淀川の素晴らしさに気づいてほしいと願う。

 しかし、近頃、私の淀川の魅力を語るトーンがやや下がりぎみだ。この二十数年、河川公園が整備され、かつてとは比較にならないほど多くの人々が淀川を訪れるようになった。川を知るためには、まずもって川に近づくことだ。人が近づかなくなった都市河川は巨大な水路と化してしまう。もはや「川」とは呼べない。そういった意味では確かに淀川は“すごい”川なのだ。ところが、一方、その陰で本来の淀川らしい自然環境がどんどん変化してきたのも事実だ。加えて、一部の心ない利用者が放置するゴミ、不法な耕作、外来生物の増加などが淀川を苦しめている。

 淀川河川公園が「河川自然公園」と呼ぶにふさわしい豊かな自然環境に恵まれ、それを目当てにより多くの人々が足を運ぶような、日本、いや世界に誇れる河川公園として成長していくことを待ち望んでいる。

河合 典彦


     城北ワンドでの筆者

ナンバー 河合 典彦

かわいのりひこ。昭和31年11月23日生まれ。大阪市立八阪中学校教諭。建設省河川環境保全モニター、淀川環境委員会委員、環境庁希少野生動植物種保存推進員を務めるほか、「淀川水系イタセンパラ研究会」のメンバーとして、淀川にすむ水生生物の調査・研究にたずさわる。

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