淀川歴史散歩

―第5回―
水郷の昔偲ぶ太間周辺
太間地区堤防の「茨田堤(まむだのつつみ)」碑 図―A
 淀川河川公園太間地区を望む堤防には、「茨田堤」の碑が建っています。太間は古くは断間(たえま)と呼ばれ、堤防の決壊しやすい所という意味。古代7〜8世紀にかけて河内低地中央には広大な湖沼があり、この頃の淀川はほぼ現在の流路の他に湖沼に流入する分流(現古川)がありました。碑の位置はその分岐点あたりと考えられています。古代の茨田堤は、この2つの流れに囲まれた地域を水害から守り豊かな土地にしました。「日本書紀」によれば、仁徳天皇十一年(323)に堤築造とあり、日本最初の治水工事といわれています。この時築造困難な所が二か所あり、天皇は夢で「武蔵の強頸(こわくび)と河内の衫子(ころものこ)を以て河神を祭れ」と神託を受けました。強頸は悲しみながら河に身を投げましたが、衫子は一計を案じ、「河の神がまことならこの瓠を水中に引き入れてみよ」と瓠を投げ、瓠は沈まず難を逃れたと伝えられています。
太間地区の
堤防上にある
茨田堤碑
堤根神社の茨田堤遺跡   図―B
 京阪大和田駅から東北300メートルの古川南岸に堤根神社(門真市宮野町)があります。現祭神は彦八井耳命・菅原道真。社殿の裏東北 100メートルにわたり土堤が残されており、大阪府指定の史跡になっています。この辺り一帯は旧淀川水系の河川によって形成された砂州地帯で、旧淀川は一度水量が増すと付近一帯を濁流で押し流す荒川でした。「日本書紀」や「古事記」に仁徳天皇十一年、水害から地域を守る茨田堤築造の記事がありますが、堤の決壊・修復の記録は奈良時代(続日本紀)にもあり当時の苦難が偲ばれます。土堤の上に巨大な樟が茂っており、これは茨田堤築造に関係の深かった茨田氏が、堤の安全を祈って先祖の彦八井耳命を祭ったものと伝えられています。
堤根神社裏に残る
茨田堤
大阪府淡水魚試験場    図―C
 淀川河川公園太間地区に隣接する木屋元地区の堤防のすぐ下(町側)に、大阪府淡水魚試験場があります。同試験場では、淀川のワンドに生息する天然記念物のイタセンパラやアユモドキ、希少魚ニッポンパラタナゴ、スナヤツメをはじめ、スゴモロコなど淀川水系の魚約40種や水生生物を水槽で展示、来館者が観察できるようになっています。玄関前の池には、ロシアのチョウザメ、中国のレンギョ、ソウギョ、など外来種の魚も泳いでいます。同試験場では、天然記念物のイタセンパラを二枚貝に産卵させ人工増殖に成功、種の保存に取り組んでいます。見学は自由で午前10時〜午後4時まで(土・日・祝日休館)。 来館者は小学生や淀川愛好のクラブ、環境保全に関心のある人たちなどが多く、10名以上の団体には研究員が同施設を解説案内するそうです。
問合わせはTEL0720-33-2770

記:滝本明


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